日本の地にも種まかれた「一致の精神」は、時を経て多くの人々の心と生活に息づいています。1967年はじめて日本をおとずれたフォコラリーナたちを迎え、時のラウレンチオ長江恵司教(埼玉教区)は言われました。「いつでも日本にいらっしゃい! 外面的な形にとらわれず、この福音的生き方を続けるならば、全ての日本人の心を勝ち取ることでしょう!」と。
キアラ・ルービックの帰天13周年・全国オンライン集い(2021年3月14日)
キアラ・ルービック「記念旅行」オンライン(2022年3月12日・生誕100周年の記念)
日本におけるフォコラーレの歩みをふりかえってみましょう。
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日本でのフォコラーレの歩み
1967年 フィリピンから数人の女子フォコラリーナが初めて日本を訪問。
1970年 「いのちの言葉」の最初の集いが行われる。
1973年 日本で初めてのマリアポリが京都のカルメル会修道院にて開催。90人あまりが参加。
1974年 11月キアラ・ルービック著「皆が一つになるように」が出版される。(日本語訳初出版)
1976年 10月女子フォコラーレが東京に開設。
1977年 2月男子フォコラーレが東京に開設。
1977年 キアラにテンプルトン賞が授与される。これをきっかけに仏教徒との対話がはじまる。
1979年 フォコラーレのアーチストグループ、ジェンロッソが、立正佼成会の招待により東京で公演。
マリアポリが北海道でも開かれる。
1980年 ジェンフェスト(フォコラーレ国際青年大会)に日本の若者のグループが初めて参加。
1981年 12月キアラ・ルービック初来日。立正佼成会の開祖庭野日敬氏に招待され、本部の大聖堂で1万1千人の仏教徒に経験を話す。
1983年 日本フォコラーレメンバーがローマの「新しい人類運動」大会に参加。
1985年 11月キアラ・ルービック2度目の来日。白柳誠一大司教(当時)と会談。立正佼成会訪問。
1986年 ローマ本部のフォコラリーニたちが、天台宗の山田恵諦座主氏など他宗教の人々と出会う。
1987年 8月、山田恵諦座主氏が開催した「比叡山宗教サミット」にてフォコラーレの少年少女ジェン3が、世界中の「一致を目指す少年少女」が集めた15万の平和のための署名を提出。
日本のジェン3たちが初めてローマのスーパーコングレス(少年少女の国際大会)に参加。
1992年 4月長崎に女子フォコラーレ開設。
1993年 何組かの夫婦がローマのファミリーフェストに参加。
2月長崎に男子フォコラーレ開設。以来、長崎の島本要大司教様をはじめ幾人かの司教様マリアポリに参加される。
1997年 4月、カトリック教会内の諸運動の集まりが初めて開かれる。約400人の一般信徒と白柳枢機卿様、多くの司祭が参加。
8月、「比叡山宗教サミット」10周年を機に、仏教徒、信徒、キリスト教徒など、宗教界の代表2000人以上が参加する中、フォコラーレの「一致を目指す少年・少女」が天台宗の代表に平和のためのメッセージを手渡す。
2000年 日蓮宗の60人の仏教徒が、カステルガンドルフォのマリアポリセンターを訪問。
7月、世界中のジェン3、100人が、妙智会主催の「未来子供会議」に招待される。このサミットの終わりに、出されたいくつかの課題は、大使館を通してそれぞれの国のトップに提出される。
2004年 ジェンヴェルデ(フォコラーレの女子の音楽グループ)が立正佼成会によって日本に招待され、日本各地で14の公演を行う。
第1回仏教徒-キリスト教徒のシンポジウムがカステルガンドルフォで開催。
2006年 第2回仏教徒-キリスト教徒のシンポジウムが大阪で開かれ、日本の仏教徒だけではなく、タイの仏教徒も参加。
11月、日本にフォコラーレが開設されて30年記念の集いを開催。白柳枢機卿様と、アルベルト・ボッタ-リ教皇大使も臨席、祝福を受ける。
2008年 キアラ・ルービックの帰天に際し、東京でのキアラの追悼ミサは、白柳枢機卿様によって司式され、諸宗教の信者も参列。
2010年 4月、会長エンマウス、共同会長ジャンカルロの来日を記念して、東京で集いを開催。
2017年 日本と韓国が一つの地域となる。
2018年 日本と韓国に、香港・マカオ・台湾も加わります。