「私にしてくれた」
L’hai fatto a me
福音が語る愛は、
隣人の中に
“イエスを見る”よう
私たちを招きます。
最後の審判の箇所を
聖書は次のように伝えています。
王は言う。
「お前たちは、
わたしが飢えていたときに
食べさせ、
のどが渇いていたときに
飲ませてくれた。」
すると、
正しい人たちが王に答える。
「主よ、
いつわたしたちは、
飢えておられるのを見て
食べ物を差し上げ、
のどが渇いておられるのを見て
飲み物を差し上げたでしょうか。」
そこで、王は答える。
「はっきり言っておく。
わたしの兄弟である
この最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。」
(マタイ25・35-40参照)
「愛の芸術」を実践するには、
相手の中にイエスを見ること、
どの兄弟の背後にも
イエスがおられると信じることが
必要です。
私たちが隣人にする
良いことも
悪いことも、
イエスはご自分へのこととして
受け取られるからです。
キアラ・ルービック