Quando si è conosciuto il dolore

 

あらゆる苦しみと苦悩をなめ、

言葉にならない激しい心痛から

神に助けを呼び求める時、

 

そして

その盃を飲みほし、

苦しみに聖なる価値を与える

イエスの十字架に

自分の十字架を合わせて、

何日も 何年にもわたって

それを神に捧げ続ける時、 

 

神は

私たちを憐れみ、

ご自分との深い交わりに

招いてくださいます。

 

苦しみの価値を体験し、

十字架を通して実現される

ご計画を信じ、

その豊かな実りを

実際に体験する時、

 

神は

とても新しい崇高な方法で、

苦しみよりもさらに価値のある

一つのことを教えてくださいます。

 

それは

人々を憐れむ愛です。

悲しみ嘆く人、

悔い改める罪人、

人生の中で打ちひしがれた人に、

心と両手を大きく開く愛です。

 

憐れみは

愛の最大の表現であり、

愛を完成させるものです。

愛は 苦しみを乗り越えます。

 

キアラ・ルービック

 

「プリズム」 P63-64参照