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子ども版 / 子ども塗り絵版
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このイエスの教えは、福音書記者ルカによって、イエスが弟子たちとともにエルサレムへ、ご自分の死と復活の「過越の祭り」に向かって歩む途上に描写されています。道すがら、イエスは弟子たちを「小さな群れ」2と呼び、心に抱いておられる気持ち、魂の深いところにある考えを打ち明けられます。
その中には、地上の富に対する執着を断つこと、御父のみ摂理に信頼すること、自らに注意深くあること、神のみ国を待ち望みながら働くことなどがあります。
これに先立つ箇所では「御父は必要なものをすべてご存知なのだから、あらゆるもの、自分のいのちからさえも執着を断ち、物質的な必要に思い煩わないように」と、イエスは勧めています。それよりも神のみ国を求め、「天にある確かな富」3を蓄えるようにと、イエスは励まします。
もちろんイエスは、地上の物事に消極的になったり、仕事において無責任な振る舞いをするようにと勧めているのではありません。イエスの意図は、私たちの思い煩い、不安や恐れを取り除くことにあるのです。
「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
ここでいう「心」とは、人が生きるすべてに意味を与え、人の存在を一つにする中心点を意味しています。「心」は、誠意の場所であり、欺いたり偽ったりすることのできない場所であり、人の真の意図、本当に考え、信じ望んでいることを示すものです。「富」とは、私たちにとって最も価値のあるもの、優先事項であり、現在と未来に安心を与え得ると私たちが信じているものです。
教皇フランシスコは「今日、何もかもお金で払って買うものになり、尊厳の意味そのものまでが、金の力で手に入れたもの次第であるかのようです。私たちは、ひたすらため込み、消費し、気を紛らわすことに駆り立てられ、目先の必要性を超えたその先を見通すことのない、劣悪なシステムに囚われています」4と言っていました。
けれども人の心は奥底で、どんな物質的な富も満たすことのできない幸せ、決して失望させることのない真の幸福を、切実に求めているのです。
キアラ・ルービックは書いています。
「そう、あなたが求めているものは存在します。
あなたの心には、無限で、不滅の渇望があります。
それは、消えることのない希望。
それは、死の闇を突き破り、信じる者の光となる信仰。
そう、あなたは決して虚しく希望し、信じているのではありません。
真に愛するために希望し、信じているのです。」5
「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
このみ言葉は、私たちに良心の糾明を促します。私の富とは、私が最も大切にしているものは何だろうかと。それは、経済的地位、名声、成功、権力など、さまざまな色合いを帯びているかもしれません。経験が教えてくれるのは、真のいのち、過ぎ去ることのない人生、福音的な愛が求める徹底的な生き方に、絶えず立ち返る必要があるということです。
「キリスト者は、善良で、憐れみ深く、謙遜で、柔和で、忍耐強いだけでは十分ではありません……きょうだいに対して、イエスが教えてくださった愛を持つ必要があります。
…愛は、いのちを与える覚悟を持つことではなく、いのちを与えることなのです。」6
1日のうちに、家、職場、あらゆる場所で出会うすべての隣人を前にして、私たちはこの尺度で愛する必要があります。このように生きるなら、私たちは自分のことではなく他の人のことを考え、他者を生きることになり、真の自由を体験するでしょう。
「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
アウグスト・パローディ・レイエスと「いのちの言葉」編纂チーム
いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、生活の中で実践するための助けとして、書かれたものです。
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- 日本聖書協会「新共同訳」
- ルカ12・32
- ルカ12・33
- 教皇フランシスコ回勅『ディレクシット・ノス(Dilexit nos)』
(「わたしたちを愛してくださった」)邦訳未発行 218
5.キアラ・ルービック「Lettere dei primi tempi, Giugno 1944
(初期の手紙1944年6月)」p.49 2010年 チッタノーバ出版社
6.キアラ・ルービック「Conversazione in collegamento telefonico
(コレガメントでの対話)」p.152 2019年 チッタノーバ出版社