いのちの言葉2023年7月

 
「キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」(マルコによる福音書9・41)。1

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福音史家マタイは、とても高度な教育を受けたキリスト者であり、イスラエルの神の約束を熟知していた人でした。彼にとってイエスの言動すべては、神の約束の成就に他なりませんでした。そこでマタイは、福音書の中でその教えを5つの偉大な説話として表すことで、新たなモーゼとしてイエスを提示しています。

今月のみ言葉は、12使徒の選出から始まる「宣教についての教え」を締めくくる箇所で、宣教の必要性が語られています。弟子たちが遭遇することになる誤解、苦難、迫害にあって彼らに求められるのは信仰の証人(あかしびと)となること。それは又、神を徹底的に選ぶことによっても示される証しです。

しかし、それだけではありません。イエスは、弟子たちの派遣の根源が、ご自身が御父から受けた使命にあることを明らかにされます。神が遣わされる使者のうちに神ご自身が存在され、神はその人の内で働かれるという確信は、旧約時代からのものです。したがって、イエスとイエスが遣わす人々の証しによって、神の愛は全ての人々に行きわたっていくのです。

キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。

イエスは、使徒、牧者、預言者など特定の使命を受けた人だけではなく、すべてのキリスト者はイエスの弟子であり、イエスの使命を受け継ぐ者、その担い手であると宣言されます。弟子として、特別な資質もなければ何の肩書きもない「小さな者」のようであっても、私たちは皆、つねに傍にいてくださる神の存在を証しすることができます。実に、キリスト者共同体全体は、すべての人の父である神によって、人類に遣わされているということです。

私たちは誰もが、兄弟姉妹を通して、神から目を留められ、配慮され、許され、信頼を受けた経験があります。ですからイエスが宣教を通してなさったのと同じように、御父の優しさを誰もが体験できるように、私たちも何かを人々に与えることができるでしょう。なぜなら、たとえ「小さなこと」であったとしても世界を変えることができるという確かな根源が父なる神のうちにあるからです。それが、たとえコップ一杯の冷たい水であったとしても、です。

キアラ・ルービックも語っています。「与えるものが多いか少ないか、それは問題ではありません。大切なのは『どのように』与えるか、です。相手を思いやって行う小さなことの中に、どれほどの愛を注ぐことができるか、なのです。マタイ福音書が語るように、時には一杯の『冷たい水』を与えるだけで十分なのです。…何気ない行いであっても、神の名において、愛のために行うならば、神の目には偉大な行為と映ります。…今月のみ言葉は、行い一つひとつにある価値を私たちに再発見させてくれるでしょう。家事をする時、田畑や工場、オフィスで働く時、学校の宿題をする時、社会・政治・宗教面での務めを果たす時にも、そのすべてを『心遣いと思いやりの奉仕』へと変えることも可能だからです。愛そうとする時、私たちには新しい目が与えられるので相手の必要を察し、色々なアイディアによって人を助けることもできるでしょう。ではそこからどんな実りが生まれてくるのでしょうか? 愛は愛を呼び覚まします。私たちの愛に対して、相手も愛で応えてくれるようになり、『受けるよりは与える方が幸いである』  と福音にあるように、喜びは何倍にも大きくなって広がっていくことでしょう。」

キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。

イエスは、私たちに、神の愛の流れを妨げてはならないと厳しくお求めです。偏見や自分の個人的な判断を乗り越え、開かれた心と具体的な奉仕で私たちが、すべての男性、女性に手を差し伸べていくようにと望まれるからです。

イエスはまた、私たちが日常の小さなことから始め、積極的、創造的に責任を持って共通善のために働くことを望まれ、豊かに報いて下さいます。 常に私たちの傍にいて、私たちがその使命を果たせるよう助けてくださる方です。

ある方の体験です。「…私はフィリピンでの仕事を辞め、家族のいるオーストラリアに移住しそこで建設現場の清掃員の仕事に就きました。食堂、更衣室、事務室、さらに500人以上の人が使う大食堂の清掃が私に任された仕事です。以前エンジニアとして働いていた頃とはまったく異なる経験でしたが、ここに来る人たちのために食堂をいつもきれいにしようと心掛けました。中には掃除には無頓着な人もいましたが、その人の中におられるイエスを愛する良いチャンスと思い、忍耐を失わないようにしました。そのうちに何人かが食事の片付けを手伝ってくれるようになり友だちになりました。彼らは私に信頼と敬意を示してくれました。…私にとって本当に、愛は自然に他の人に伝わっていくもの、愛のために行うならいつまでも残るという体験でした。」

キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。

レティツィア・マグリと「いのちの言葉」編纂チーム

いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、生活の中で実践するための助けとして、書かれたものです。

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1 日本聖書協会『聖書 新共同訳』

2 使徒言行録20・35

3  キアラ・ルービック、いのちの言葉2006年10月

4  S. Pellegrini, G. Salerno,M. Caporali編纂、行動する家庭 ‐ チッタ・ノーバ誌2022年p.55

ルール(500)