いのちの言葉2025年7月

 
「ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」(ルカによる福音書10・33-34)

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マルティーヌは、ヨーロッパのある大都市の地下鉄に乗っています。周りを見ると、乗客は誰もが皆、スマートフォンに夢中です。彼らはバーチャルな(仮想の)世界と繋(つな)がっていますが、実際には誰もが孤立状態にあります。彼女は心の中で思いました。「私たちはもう、お互いに目を合わせることもなくなってしまったの?」と。

これは、物質的に豊かであっても、人間関係がますます希薄になっている現代社会で、よく目にする光景です。しかしながら、ここでも福音の「見よ、わたしは万物を新しくする」2 という創造的で独特なメッセージが思い起こされます。

「永遠の命3 を受け継ぐために何をすべきか」とイエスに問いかける律法学者に対して、イエスはあの有名な「善いサマリア人のたとえ話」をもって答えます。そこでは、当時の社会で人々から尊敬されていた祭司とレビ人が、強盗に襲われ瀕死の状態で道端に倒れている旅人に遭遇しながら、何もせずに通り過ぎていく話が語られています。

ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い …

隣人を愛せよ4 という神の戒めをよく知る律法学者に対し、イエスは、異邦人で、当時は異端者、敵とみなされていたサマリア人を、その手本として示されます。彼は負傷した旅人を見て心の奥底から湧き出る深い憐れみに駆り立てられ、旅を中断し、近寄ってその人を介抱しました。

すべての人が、罪によって心に傷を負っていることをイエスはよくご存じです。イエスの使命は、神の憐れみとその無償の赦しを人々にもたらすことにあります。そして、人々の心を癒(いや)し、彼らが互いに親しく交わり、分かち合えるようにすることです。

「 御父のように憐れみ深く、完全になるために、私たちはイエスを見つめ、彼に学ぶ必要があります。…… 愛には絶対的価値があります。愛ゆえにすべてのものに意味が出てくるからです。この愛の最高の表われを『憐れみ』のうちに見ることができます。憐れみゆえに私たちは、家庭や学校、あるいは職場で、日々出会う人々の欠点や誤りに立ち止まることなく、相手を常に新しい目で見ることができます。また人を裁かず、むしろ人から受けた痛みを赦し、忘れ去ることもできるでしょう。」(キアラ・ルービック、「いのちの言葉」2002年6月より)

ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い …

「行って、あなたも同じようにしなさい。」5  これが律法学者に対するイエスの明確な答えでした。イエスは、み言葉を受け入れるすべての人にも同じように語られます。それは人生の途上で、日々私たちが出会う人々の心に寄り添い、その傷に自ら「触れる」ことを意味します。

私たちが、福音的な隣人として生きていくためには、何よりもまず、イエスに私たちの目から偏見と無関心を取り除いていただく必要があります。偏見と無関心は、自分という狭い枠を乗り超えるために大きな妨げとなるからです。

サマリア人は、自らの命を危険にさらし、勇気をもって、深い思いやりのある行動にでました。私たちは、彼から多くを学ぶことができます。他者に向かって自分から一歩を踏み出す彼の姿勢、相手に耳を傾ける姿勢、他の人の痛みを自分のものとして受け止める姿勢、そして裁くこともなく、「時間を無駄にする」不安からも解放されて自由になる彼の姿勢にも倣うことができるでしょう。

ある韓国人の若い女性が自らの体験を語ってくれました。「私とは全く文化も違い、しかもよく知らない一人の青少年を助けようとした時、どうすればいいのか分からなかったけれど、とにかく勇気を出してやってみました。すると驚いたことに、その子を助けることにより、私自身の心の傷が『癒された』ことに気付きました。」

今月のみ言葉は、私たちにキリスト教的ヒューマニズムを生きるための「黄金の鍵」を与えてくれます。神のみ姿が映し出されている人間性というものに気づかせてくれるからです。と同時に、物理的・文化的に身近であるという狭い枠組みを乗り越える術(すべ)も教えてくれます。こうして「私たち」という枠組みを超えて、視界を「すべての人」に向かって広げることにより、私たちは、社会生活の基盤となる人間性というものの大切さを、再発見することができるでしょう。

ところが、旅をしていた あるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

レティツィア・マグリと「いのちの言葉」編纂チーム

いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、生活の中で実践するための助けとして、書かれたものです。

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1.日本聖書協会「新共同訳」

2.ヨハネの黙示録21・5参照

3.ルカ10・25-37参照

4.申命記6・5 ; レビ記19・18

5.ルカ10・37

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