いのちの言葉 2018年5月

 
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。(ガラテヤ5・22)

使徒パウロは、かつて自分が福音を告げ知らせたガラテヤの信徒たちに手紙を書き、「キリスト者の自由」をまったく理解していない彼らを厳しく咎(とが)めています。

パウロは、「自分のエゴの奴隷になって生きること」と、「十字架の死を通してイエスが私たちに与えて下さった霊に導かれて生きること」との間に、どれほど大きな隔たりがあるかを彼らに分からせようとしています。

パウロは、自分のエゴから生じるものは敵対、ねたみ、裏切り、不正、暴力、その類のものに他ならないと語っています。

一方、イエスが私たちに与えて下さった聖霊には、エゴの奴隷から私たちを解き放ち、真の自由へと私たちを導く強い力があるのです。

これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。

キリスト者がもっている自由は、特別な賜物ですが、そこには努力も求められます。何よりもまず、自分の心の中に聖霊を迎え入れ、その声に耳を傾ける努力です。

キアラ・ルービックは語っています。「より一層、私たちの内におられる聖霊の存在を意識しましょう。心の奥に計り知れない宝物(聖霊)があるのに、私たちはそれを十分に分かっていないことが多いからです。

聖霊の声にいつも耳を傾け、誘惑やそのいざないには、すぐに『いいえ』と答えましょう。神さまに委ねられた使命やすべての人を愛することに対しては『はい』、そして、困難や試練に出会う時にも『はい』と答えましょう。

聖霊に導かれるなら、私たちも、キリスト者の生活に欠かせないあの味わい、あの活力、あの熱意、あの輝きをきっと体験することでしょう。

そして、普通の人とは何か違う、と感じた周りの人は、私たちが神さまの子供であると理解するでしょう」1と。

聖霊は、私たちが、自分の心配を脇に置くよう働きかけます。そして、他の人を受け入れ、他の人の話を聞き、物質的にも精神的にも互いに分かち合い、許しあい、さまざまな状況にある人に注意を払いながら助け合って生きるようにと私たちを招きます。

こうして私たちも、自分に閉じこもっていたなら気付くこともなかった、自分の才能や能力を発見しながら、真に自由な人として成長させてくれる聖霊の働きを体験することでしょう。

私たちのすべての思いや行動は、自分のエゴに対しては『いいえ』、愛のうちに自由に生きることには『はい』と答えるチャンスとなります。

これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。

日々、聖霊に導かれながら生きるなら、家庭でも社会でも、良い人間関係を築いていけるでしょう。

一人の会社員の方の体験です。

「ある日私は、自社の製品販売のために、大手の会社の営業部長を訪ねました。あまり関心もなさそうだったので、挨拶して出口に向かいましたが、健康そうでない彼の様子が気になりました。何かしなければと心に感じて、もう一度引き返し、彼に『お体の方は本当に大丈夫ですか?』と尋ねてみました。彼は驚いて『なぜ、そんな質問を?』と。『少し気になったものですから』と言って私はそこを後にしました。

翌日、その営業部長さんから電話がありました。『お礼を言いたくて電話しました。昨日あなたから言われたことがずっと心に響き、夕方病院に行って診てもらうと主治医から、もう少しで手遅れになるところでしたよ。即刻手術しましょう、と言われたのです』と話してくれ、製品の発注もしてくれました。

こうして、大事な顧客を得ただけでなく、健康面でもこの方の助けとなることができました。すべての決め手は、愛を最優先させることにあると思いました。」2

レティツィア・マグリ

 

いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、生活の中で実践するための助けとして、書かれたものです。

 

 1 キアラ・ルービック『Possediamo un Tesoro (私達の宝物)』チッタノーバ誌、44[2000], 10, p. 7

2 フォコラーレ公式ウェブサイトwww.focolare.org 掲載記事(2018年2月22日)より

ルール(500)