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今月のみ言葉は、「予期せぬ客」を歓迎するよう、私たちを招いています。
キリスト教徒の育成に優れたこの書の著者は、全人類への愛ゆえに死んで復活された主イエスの名によって、ここでは特にラオディキアの教会(今日のトルコに存在した共同体)に向けて、この言葉を語っています。
著者は、時には褒(ほ)め、時には厳しく叱りながらも、信徒たちの心がいつも、主の力強い助けに向かって開かれているよう導きます。それは何よりも、彼らが神の声をはっきり判別できるようになるためでした。
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
現代に生きる私たちも、不安や恐れ、分裂、この世的な安穏の生活への誘惑など、さまざまなことを体験しながら生きています。
こうしたすべてを乗り越え、到来されるイエスを心からお迎えするよう、ふさわしい心の準備が私たちにも求められています。
イエスは毎日ちがった「服装」で、私たちにその姿を現されます。時には、福音を忠実に生きようとするとき、あるいは、人生の中で重要な選択をしなければならない時に出会う苦しみ、困難、挑戦という「服」を着て現れるかもしれません。そして何よりも、私たちが日々出会う人々のうちに、その姿を現されるでしょう。
今月のみ言葉はまた、ちょうど親しい友と食卓で語らいながら時を過ごすように、イエスと2人だけで、心を開いて過ごす「ひと時を持ちなさい」と私たちに勧めています。私たちの心の扉を開く手助けをしてくれるのは、神の霊である聖霊です。その声を聴くにはどうすれば良いでしょう。
キアラ・ルービックは記しています。
「聖霊の声を聴くには、すべての雑音を心から締め出す必要があります。ちょうど、泥土(でいど)からダイヤモンドを取り出すように。泥を落とし、きれいに磨いて飾り、時宜にかなったときに贈り物にできます。このダイヤにあたるのが『聖霊』です。
聖霊は、神の愛であり、他の人に与えるためのものです。
『火』がわらや薪に炎が移れば燃え上がり、さもなければ消えてしまうように、愛も私たちの中で豊かになって、外に溢れ出るほどになるべきです」1と。
教皇フランシスコも言っています。
「聖霊は賜物です。(中略)この聖霊という賜物は、私たちの中に入り、私たちを実り豊かな者にしますが、それは他者に与えられるようにするためです。受けるのは、常に与えるためなのです。(中略)
自己中心的な『私』を、『私たち』へと広げるのは聖霊に他なりません。与えるために受けるのです。私たちが中心にいるのではありません。私たちは、他者に賜物を届ける道具なのです」2と。
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
大勢の移民の人々が通る、とある国境に近い町でのこと。「心の戸」をたたく音を聴いた人がいます。デリアの経験です。
「暑い日の午後、私の店の前の路上に、たくさんの母親と子供たちが座っていて、子供たちはお腹をすかせて泣いていました。見るに見かねて『子供たちの食事は無料にしますから、お店にどうぞ!』と私が招くと、お母さんたちはお金がないので、はじめ恥ずかしそうでしたが、そのうちみんな店に来てくれました。ここからすべてが始まりました。
今や、私の店は『移民レストラン』となり、私は『アフリカのお母さん』と呼ばれるようになりました。彼らの多くはイスラム教徒です。
常連の足は遠のきましたが、以前のお年寄り用娯楽室は子供部屋になり、子供たちがお絵かきしたり、遊んだりしています。お母さんがホッとできておむつ交換や授乳もできるような空間もつくり、ときにはイタリア語のレッスンもしています。
『移民レストラン』は私が選んだことではありません。彼らを無視することができなかっただけのことです。おかげで、支援して下さるたくさんの善意の人々に出会うことができました。また同じことが起きたら、私はためらわずに同じことをするでしょう。私にとって一番大切なのは『与えること』だからです」3
「戸をたたくイエス」を迎え、彼と外に出て、周りの人に向かうよう私たちも呼ばれています。
そうすればイエスご自身が私たちの生活に入ってこられ、イエスと共に働いていかれるでしょう。
レティツィア・マグリ
いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、生活の中で実践するための助けとして、書かれたものです。
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1 キアラ・ルービック「聖霊は愛」1949年9月12日、2006年6月のコレガメントより
2 教皇フランシスコ、一般謁見、ローマ2018年6月6日より
3 チッタノーバ誌(オンライン版)2018年3月7日、2018年6月16日のコレガメントより