Pdf: 日本語 English Español Português Tiếng Việt 한국어 Filipino (Tagalog) Polski

いのちの言葉のビデオを見る
今日の世界にあって、恐れと不安をかき立てられるようなニュースを日々耳にしている私たちにとって、このみ言葉は、何か「しっくりこない」もののように聞こえるかもしれません。事実、私たちの力ではどうにもならないような今日の状況は、私たちからあらゆる希望を取り去り、落胆させようとしているかのようです。
まさにこれと似た状況の中で、ヨハネ福音書は私たちに語りかけます。弟子たちは最後の晩餐の席でイエスの周りに集まっており、そこでは兄弟愛と裏切り、自己犠牲と悪の闇が強烈に交錯する場面が描かれています。イエスは、受難という試練に向けて弟子たちを準備し最後の話をされ、必ず再臨することを彼らに約束されます。そして、弟子たちにこう言われます。あなたがたは「この世で」嵐や失望に打ちのめされる。しかし、イエスの内にとどまるなら、どんな時にも平安と満ち足りた人生を見いだすだろう、と。
これは私たちに希望をもたらすイエスの約束の言葉です。
勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。
周りの状況や自分の弱さによって恐れや苦しみが生じてくる時、イエスは、彼にすべてを委ねることをお望みです。そして、日々の生活の中にいてくださるイエスのしるしを見出すことで、物事を新しい目線で捉えなさい、と私たちを招かれます。
キアラ・ルービックはこう記しています。「私たちの人生に一つの神秘的な現実があるとすれば、それは苦しみです。私たちを大事に思ってくれる身近な人も、私たちを助けられない場合がよくありますが、そんな時でも、傍らで黙って苦しみを共にしてくれるだけで、充分なことがあります。
イエスがしてくださったのは、まさにこれでした。イエスはあらゆる人、一人ひとりのそばに来られ、私たちとすべてを分かち合ってくださいました。それだけでなく、私たちの苦しみすべてを背負い、私たちと共に苦しみ、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』(マタイ27・46)と叫ぶまでに至りました。
あらゆる肉体的、道徳的、精神的な苦しみは、イエスを思い起こさせます。それはイエスの存在であり、彼のみ顔です。それで、私は『見捨てられたイエス、私はこの苦しみの中で、あなたを愛します。私の苦しみをご自分のものとされたあなたが、今、私のもとを訪れてくださいました。それなら、私はあなたを望み、あなたを心から抱きしめます』と言います。
そして、私たちが愛することに心を向け、神の恵みに応え、神がその時に望まれることを行い、神のために生きるなら、しばしば、苦しみが消え去るのを体験します。愛することで、聖霊の賜物である喜び、平和、光がもたらされるからです。」2
勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。
暗闇の時も、私たちの内におられるイエスが、善をもって悪に打ち勝ち、心を閉ざしたくなる誘惑を乗り越え、兄弟姉妹に寄り添ってくださいますように、また、日々の小さな行いや社会活動においても、私たちを通して、イエスご自身が働いてくださいますように。
共同体における相互の愛は、イエスが共におられることを証しし、私たちを励ましてくれます。ドミニカ共和国出身の若者ハビエルの体験談をご紹介しましょう。
「いとこの家に行くとき、僕は近道をしようと思って、中庭の塀をよじ登ろうとしたら、突然、塀が崩れて、僕はその下敷きになり、右脚に大怪我をしました。病院で、あまりの痛みに耐えきれず叫び声をあげる僕に、父は優しく『これはイエスの苦しみにあずかることだよ。この苦しみを受け入れてごらん』と言いました。目が覚めたとき、僕は右脚がなくなっていることに気づきました。涙が枯れるまで泣きましたが、少しずつ、心の奥に平安を感じるようになりました。神様は僕の上にご計画を持っておられると信じることができたからです。
共同体の仲間や友人たち、そして、世界中の人々の愛に支えられて、僕は立ち直ることができました。今は、仮の義足をつけていますが、数ヵ月後には本物の義足が出来上がります。家では家族と一緒に過ごし、家事を手伝ったりしながら、日々の生活にも慣れてきました。学校の方も、とてもよい成績で卒業できました。家族、友人、病院のスタッフも皆、僕の心の平安と前向きな姿勢に感銘を受けていました。」
勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。
レティツィア・マグリと「いのちの言葉」編纂チーム
いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、生活の中で実践するための助けとして、書かれたものです。
________________________________
- 日本聖書協会『聖書 新共同訳』
- キアラ・ルービック2005年3月の「いのちの言葉」より

