一致の精神 ⑥

 

最後の晩餐でイエスは聖体(*)を私たちに与えることで、一致を実現する方法を下さいました。

キアラ・ルービックはあるとき、フォコラーレ運動とは「私とご聖体のイエスとの関わり」に他ならない、と語りました。キアラのご聖体との関わりをたどりながら、フォコラーレ運動の中でのご聖体の位置づけをふりかえってみましょう。

 (*) 聖体:ミサの中でいただくホスチアと呼ばれるパンと葡萄酒のこと。祭儀の中で聖変化によって、イエスの体の現存となる。

 

ご聖体のイエスに養われて

キアラは幼い頃、シスターに教わってご聖体訪問をしていました。「あなたの光と暖かさが、私の目を通して心に入ってきますように」と祈った(1)と言います。

成長し、指導司祭の依頼で若者たちに話すときは直前にご聖体の前で祈り、「私は無であり、あなたこそ全てです」と繰り返していました(2)。

一致の精神を携えてイタリア中を旅するときは車窓に見える教会の塔を探しました。そこにはご聖体、唯一愛を注ぐべき御方がおられるからでした。

 

ご聖体のもたらす実り 

「フォコラーレ運動が生まれるにあたって神様は私たちの目を、イエスの『皆が一つになるように』の祈りに向けさせました。一致を実現できるのはご聖体のイエスであると悟らせるためでした」(3)とキアラは語りました。

フォコラーレに出会った人が、誰から言われるのでもなく、ミサに通いご聖体を受けるようになることがよくあります。多くの人を一つの体とすることができるのはご聖体のイエスだと、本能的に感じるのかもしれません。

ご聖体は「キリストが教会に贈られた最高の賜物です。ご聖体はキリストご自身を与えて下さるからです」(4)。教会の教える条件を満たしてのちにご聖体を受けることで、何が起こるのでしょうか。普通の食物は私たちの体に変えられますが、ご聖体の場合は神秘的なかたちで、私たちの方がイエスに変えられるのです。

ご聖体のうちに現存する、死んで復活されたイエスご自身が、私たちとご自分を一つに結び、また私たち同士をも一つにして下さいます。そこから、ひとつの体となった教会が生まれます。

 

ご聖体のイエスは、愛を教えてくれる

聖体によって私たちがひとつの体、キリストの体とされた教会が成長するためには愛が不可欠であると第ニバチカン公会議はよびかけました。

「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのを思い出したなら、まず行って兄弟と仲直りしなさい」(5)という福音の言葉は、フォコラーレでは初期の頃からとても大切にされました。相互愛の土台がなければ、ご聖体を受けても「一致をもたらす」というご聖体の働きは現れないからです。

互いに愛し合うこと。それは私たちがいただくご聖体が、100%の働きをするために必要なことです。

教皇フランシスコも言っておられるように(6)、ご聖体をぬきにしては、一致は情緒的なものに留まるかもしれません。ご聖体によって、一致の中心にキリストがおられるようになり、私たちの歩みや行動はキリストの霊、聖霊に導かれるようになります。キリストの愛に駆り立てられて私たちは、兄弟に命を与え、出かけて行き、疎外され蔑まれている人たちのところへ足を運ぶことができるようになるでしょう。

 

(1)『La dottrina spirituale霊性教義』(キアラ・ルービック著)出版記念スピーチより2001年12月3日ローマ

(2)  『見捨てられたイエス…一致への道』キアラ・ルービック著p. 45  1984年日本フォコラーレ発行

(3) 男子フォコラリーノの集いでの講話より1976年10月12日ロッカディパパ

(4) 教皇ヨハネ・パウロ二世 回勅「教会にいのちを与える聖体」参照  2003年4月17日N.11

(5) マタイ5・23参照

(6) フォコラーレの友人である司教グループとの謁見での教皇フランシスコのスピーチ2015年3月4日参照