一致の精神 ⑪

 

至聖なる三位一体の、第三のペルソナでおられる聖霊。キアラ・ルービックは、聖霊についてのエピソードを語っています。

「暗い防空壕で私たちはロウソクを灯して福音書を読みました。『隣人を愛しなさい』というみ言葉を目にし、『隣人とは、今自分の隣にいる人。その人を愛することだ』と悟りました。まるで、ひとつ、またひとつと、み言葉に光が宿るかのようでした。あのとき私たちの心を照らし、行動に移すよう促したのは、聖霊の働きだったと思います。」

 

いつも私たちのそばに

聖霊は「心の光」(1)と呼ばれています。例えば「失敗したけれど、またやり直そう」「関わりの難しい相手を新しい目で見て、愛そう」といった決心をするとき、聖霊が私たちの心に光を灯し、愛するよう促しておられます。

また、思いがけないときに以前耳にしたことや、福音のみ言葉などが心に浮かぶことがあります。それが新しい一歩を踏み出す力となり、難しい状況を乗り越えられた、といった体験はありませんか。これも聖霊の助けでしょう。「私はあなた方と共にいたとき、これらのことを話した。私が話したことは、すべて聖霊が思い起こさせて下さる」(2)とイエスは、使徒たちに語られました。

また聖霊は「憂いのときの慰め」(3)とも言われます。苦しみが生じて、その中に十字架のイエスを見出し受け入れるとき、はからずも心には深い喜びと慰めを感じ、次第に心の傷が癒されるのを体験します。これは、人間的には説明のつかないことで、神様からの慰めと言えるでしょう。

すべてのことの背後に、目に見えない神様の愛の働きがあります。私たちの目には辛く映る苦しみのときも、それを通して私たちは神様に近づくことができると、聖霊は教えて下さいます。

また、使徒言行録には、迫害を怖れていた弟子たちが聖霊の恵みによって変えられていく様子が描かれています。「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、みな聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」と。

これと似たようなことが、私たちにも起こります。以前は人前で話すことのなかった人が、フォコラーレに出会い相互の関係を築きながらみ言葉に触れ、やがて愛ゆえに、み言葉を生きた体験を話すようになります。

そして、「私の名によって集まるところに私はいる」(4)というみ言葉どおり、相互愛があるところにはイエスが存在され、聖霊はイエスの存在をより明らかにして下さいます。フォコラーレの集いに参加して、「ここには温かい雰囲気がある」「自分が愛に包まれているようで、心が安らぐ」と感想を持たれるこの特別な雰囲気も、聖霊の働きによるものでしょう。

 

「あの声」に耳を傾けて

聖霊の静かな声は、私たちをいつも神様のみ心に近づけて下さいます。

心が迷うとき、何が神のみ旨か判断しかねるときに「心の中の聖霊の声、『あの声』に耳を傾けましょう」と、キアラたちはよく言っていました。「人の心の中には、真理が住んでおられる」(5)と聖アウグスチヌスも書きました。「真理の霊」である聖霊は、自分のエゴの声ではなく、世の中の声でもない、神様からの声で私たちを導いておられます。

さらに、私たちがお互いの愛を生きる共同体として祈るとき、聖霊の声はもっとはっきり感じられます。これは、教会が始まって以来つねに行ってきた経験です。2018年5月にフォコラーレの町ロッピアーノ(イタリア、トスカーナ州)を訪れた教皇フランシスコも、「聖霊の風に吹かれて前進すること。そのために、共同体的に判断する努力をして下さい」(6)と仰いました。

聖霊はいつも私たちのそばにいて、励ましと喜び、永遠のいのちにあずかる勇気を与え、導いて下さるでしょう。

 

(1)   カトリック教会の祈り「聖霊の続唱」より

(2) ヨハネ14・25-26参照

(3) 「聖霊の続唱」より

(4) マタイ18・20参照

(5) De Vera Religione, Agostino d’Ippona『真の宗教』39,72より(私訳)

(6) 2018年5月10日ロッピアーノ訪問での教皇フランシスコの講話より(私訳)