一致の精神 ⑦

 

フォコラーレの精神を一言で言うなら、その名の通り「一致」でしょう。かつて教皇福者パウロ六世も言われたように、フォコラーレの「交わりの共同体的霊性」は、キアラ・ルービックが福音から汲み取った新しい道です。

 

みながひとつになるように

一致については、キアラ自身に語ってもらいましょう。

「1944年5月。防空壕の中で、私はいつものように、仲間たちと小さな福音書を開きました。

『父よ、皆が一つになりますように』(1)

それは、主イエスが亡くなる前に口にした祈りでした。難解とされてきたこのみ言葉が、不思議と分かるような気がしました。きっと私たちの間にイエスがおられたのでしょう。私たちはこのみ言葉のために生まれたのだ、と確信したのです。と同時に、神様だけがこのような壮大なことを実現されるのだ、とも思いました。

ある日、皆で祭壇のそばに跪き祈りました。『あなた自身が夢見たことを実現するために、お望みなら私たちをお使い下さい』と」

 

皆が感じ、皆が苦しむ

「池に小石を投げると水の輪が広がるように、私たちの役割は、おかれた場で一致の輪を生み出すことだと、次第に分かりました。そして、この一致を『イエス』と呼びました。主イエスだけが二つのものを一つにできるからです。その意味で、一致は単なる人間的なものを超えています。一致があるときは皆喜び、欠けるなら皆苦しむ。一致があるとき感じる、心の安らぎ、湧き立つ力、惜しみなく与える心。これは私たちの間におられるイエスそのものです」(2)

フォコラーレの会則(教会認可)の冒頭にある次の言葉は、キアラが何よりも望んだものでした。

「一致を可能なものとし、イエスの現存をもたらす相互愛は、掟の中の掟であり、あらゆる規約の前提である」(3)

 

一致の母マリア

  教会の歴史の中で、マリア様に様々な称号がつけられ、聖マリアの連祷として唱えられています。聖ヨハネパウロ二世は「慈しみの母」「家庭の元后」、そしてもう一つ、あまり知られていない、ある称号を加えられました。

2002年に聖ヨハネパウロ二世がキアラに宛てた手紙に、こう記されています。

「皆さんは、その名にあるように(フォコラーレの正式名称は『マリアの御業(みわざ)』)、聖マリアと特別な絆をもっています。その絆を常に深め、“聖なる唯一の教会”の母、“愛のうちに生まれる一致”の母マリアへの信心を守っていって下さい」(4)と。

「愛のうちに生まれる一致」の母マリア。まさにこの呼び名が、私たちの模範といえるでしょう。

イエスの祈った「一致」を実現するための道は数多くあります。「祈り」の道、真理探究の道、教育、宣教や社会活動…。私たちがモデルとするマリア様は、律法を説いたり、砂漠で苦行はせずとも、福音を説いたイエスの母でした。司祭でなくとも、十字架の下で我が子イエスを捧げ、弟子ヨハネを息子の代わりに受け入れた母でした。

母の愛、それは他の人が表に出るように、控えめな姿でひたすら注ぐ愛です。どんなことも乗り越え、子どもたちが離れて行っても、常に待ち続ける愛です。母の愛は、一番弱い者に目をかけ、家族が一つになることを最上の喜びとする愛です。

こうした母の愛をあますところなく生きたマリア様の名前をいただいた者として、私たちが呼ばれている「家族の一致」。その家族とは、イエスの「父よ、みながひとつになるように」という「一致の祈り」によって、人類全体に押し広げられた“家族”なのです。

 

(1)      ヨハネ17・21

(2) キアラ・ルービックが2000年に語ったこと

(3) フォコラーレ会則より要旨抜粋

(4) 2002年10月16日付教皇書簡より