一致の精神 ②
果たすのは、今
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入る」
このイエスの言葉は、キアラ・ルービックと仲間たちの心を強く打ちました。第二次世界大戦のさなか、「神は愛である」ことを再発見し、この神の愛に自分たちも応えて生きたいと強く願った彼女たちは、先のみ言葉に触れ、神を愛するためにはそのみ旨を行う必要がある、と理解したからです。
激しい戦火の中、明日はもとより一瞬先には何が起こるかわからない状況の中で、彼女たちは「今、神のみ旨を果たそう。私たちの手にあるのは、この瞬間だけなのだから」と言い合いました。
これは、非常事態や特別な状況だけでなく、平凡な日常生活にあっても言えることでしょう。すべての人の父である神は、子供たちの善を望まれ、一人ひとりの上に愛のご計画を持っておられます。私たちは、この神の愛に信頼し、自分の思いよりも神のお望みを選び、今この時に実行することができます。
神への信頼
神は、他の被造物とは異なる存在として人間を創造されました。
「ご自分にかたどって」(2)お造りになったのです。これはどういう意味でしょう?
人間は、神と個人的で直接的な関係を築くことができ、互いを知り、愛し、友情と交わりの関係を持つことができるということです。
神のみ旨を生きようと努めても、将来の不安や過去の後悔、自分にはどうにもできない様々な心配事が浮かんできて、今の瞬間のみ旨に集中できない、ということは多々あります。
そのようなとき、神への大きな信頼が必要になるでしょう。
「あの人のため、あの状況のために、私には何もできないけれど、神様にはすべてが可能なのだから、ゆだねよう。私は、今この瞬間の神様のお望みを果たそう」と心に決め、勉強や仕事、祈りなど、そのとき自分にできることを果たすとき、神が介入されて、思いがけぬ形で問題が解決されることをしばしば体験します。
私たちの信頼に対して、父である神は報いてくださるのです。神の御手に触れるような、こうした体験により、私たちの信仰は新たな力を得、愛は強められ、神の子としての喜びと平和を味わいます。
成聖の道
神のみ旨を日々生きるとき、一つの発見をします。それは、み旨に従って生きることは、すべての人に開かれた聖性の道であるということです。
聖性は、徳の高い人々や奉献生活者に限られた特別なことではなく、年齢や職業、召し出しを問わず、すべての人に開かれている道です。私たちが、自分に対する神のみ旨を敏感にキャッチし、忠実に日々それを果たしていくなら、ある人はサラリーマンとして、ある人は主婦として、ある人は学生として、神に向かう聖性への道を歩むことができるのです。
太陽の光線
初期の頃から、フォコラーレでは神のみ旨を果たすことを、太陽とその光線にたとえてきました。キアラ・ルービックは記しています。
「太陽とその光線を見てください。太陽が神ご自身だとするなら、光線は私たちひとり一人の上にある神のみ旨と言えます。太陽に向かって、自分の光線の中を歩んでください。あなたの光線は、他の人の光線とは違うもので、神があなたに望んでおられる特別な素晴らしいご計画です。光線は太陽に近づくほど、互いにも近くなります。私たちも神のみ旨を完全に果たせば果たすほど、互いに近くなり、最終的にはみなが一つになるでしょう」
(1) マタイ7・21
(2) 創世記1・27