一致の精神 ⑨

 

マリアの町を意味する「マリアポリ」や、フォコラーレの正式名称である「マリアのみ業」が示すように、一致の精神のなかで、聖マリアはとても大切な存在です。

 

地上におけるマリアの存在に 

フォコラーレでも、カトリック教会が定める祝日やロザリオなどの祈りを通じて聖マリアを称えますが、特に大切にしているのは「現代社会においてマリアの存在を証しすること」(1)です。それは、私たちの生き方を通して、地上にマリアの存在を証しすることであり、更には、神を愛すること、キリストと一つになることの最高の模範(2)であるマリアに倣(なら)って生きるということです。それは具体的にどのようなことでしょうか。

 

聖書に描かれた聖マリアの姿を思い浮かべてみましょう。

天使から「恵みあふれる方」と呼ばれたマリアは、生涯を通じて神との深い一致を培(つちか)うと同時に、一般女性としてごく普通の家庭生活を送られました。身重の従姉エリザベトを訪ねる場面やカナの婚礼での出来事、幼いイエスを連れて神殿に通い、イエスの公的生活を見守る姿。イエスの死後、独りになってからは、使徒たちと晩餐の席を共にする姿を聖書は伝えています。

 

ご自分の子イエスの十字架上の死を受け入れ、ヨハネの母となることで教会、人類の母となったマリア。ご自分は無となられた母マリアに倣(なら)い、私たちも、誰をも「母の心」で受け入れるならどうでしょう。

家や職場で、関わり対話する相手など、一人ひとりに対し「今、目の前にいるこの人の母親であるかのように」接すること。地上におけるマリアの存在となるために、神が私たちに求めておられるのはこうした生き方ではないでしょうか。

 

この世にキリストをもたらす

イエスを世にもたらすこと、それはマリアの最大の役割でしたが、私たちもまた現代に、霊的にキリストをもたらすよう呼ばれています(3)。

天使から伝えられた受胎のお告げに、マリアは「お言葉どおりになりますように」と答え、神のみ言葉を受け入れることで、彼女の内には新しいもの、み言葉の受肉として、イエスがもたらされました。

ならば、私たちがみ言葉を受け入れ、実践するときにも、同じようなことが起こるでしょう。私たちの生きた証しによって生活という地に落ちたみ言葉の種は、キリストの新しい「いのち」を芽生えさせるのです。

こうしたことの実践として、フォコラーレでは初期の頃から福音の一節を選び、短い解説を加え、黙想し実践するためのヒントとしています。これが今に続く毎月の「いのちの言葉」です。

 

エリザベトを訪ねたマリアは、自分の内に神がなされた偉大な業を賛美しました。私たちもまた、み言葉を生きて体験する神の働きや喜び、賛美の思いを、周りの人に伝えることができるでしょう。それが相手への純粋な愛の贈り物となり、喜んでもらえると感じるとき、私たちの小さな体験を自由に分かち合ってみましょう。

 

決して平坦な道のりではなかったであろう聖マリアの生涯。私たちも、彼女に倣(なら)うことで、この社会に生きるもう一人の小さなマリアとなれますように。

 

(1)「フォコラーレは『マリアのみ業』の名を持ち、可能な限り地上におけるマリアの存在となり、言うなればマリアを継承するものとなることを望んでいる」マリアのみ業 会則(カトリック教会認可)第一部第一章第二項参照

(2)「信徒の霊的・使徒的生活の完璧な模範は聖なるおとめ、使徒たちの元后マリアです。マリアは地上にあって皆と同じように生活し、ご自分の子であるキリストに親密に一致し、救い主のみ業に唯一無二のかたちで協力しました。」第二バチカン公会議・信徒使徒職についての教令Apostolicam Actuositatem Cap 1, 4 参照

(3)「フォコラーレは、聖マリアに倣って世にキリストを霊的にもたらすという霊性を備える」マリアのみ業 会則第一部第一章第二項参照