一致の精神 ①

 

最初の火花

聖ヨハネ・パウロ二世の言葉を借りれば、「神は愛でおられる」という再発見は、フォコラーレのインスピレーションの「最初の火花」(1)です。

 

第二次世界大戦による破壊と死、世俗化と無神論の時代に生きていた若きキアラ・ルービックは、ある日「神はあなたを限りなく愛しておられます」と一人の司祭に言われました。

 

「神は愛である」という信仰の真理については、キアラも前からよく知っていましたが、その時は神ご自身から言われたかのように、特別な感動を覚えたと言います。自分の胸にだけおさめてはおけず、キアラはすぐまわりの人々に「神様は私たちを限りなく愛しておられます」と伝え、これはフォコラーレというグループが生まれるきっかけともなっていきました。

 

愛されている私たち

自分もすべての人も、ありのまま無償でいつも「神から愛されている」という確信は、私たちの生活に大きな変化をもたらします。

キアラは言っています。

「神は近づきがたい存在ではなくなり、私たちは至るところに神の愛を見出すようになりました。喜びや慰めの出来事の中でも、悲しく困難な状況の中でも、神は私たちと共にいてくださいます。」(2)

「大きな歴史の流れや、私たち一人ひとりの小さな人生も、神が導いておられます。神は愛なので、すべてのことの背後には愛があり、ネガティブに見えることも、より大きな善のために、神が起こるのをゆるされるのだとわかってきました。」(3)

私も応えたい

神の愛は、「放蕩息子を待ち続け、迎え入れる父親」「99匹の羊をおいても、いなくなった一匹を探しに行く羊飼い」「7の77倍のゆるし」に見られるように、あわれみに満ちています。

そして「独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(4)神の愛を実体験するとき、私たちもこの愛に応えたいと思うようになるでしょう。

そのカギとなるのが「目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」(5)という聖書の言葉です。すべての人の父である神は、私たち子供が互いを受け入れ、大切にし合うことを何よりも喜んでくださるからです。

 

 

(1)「Insegnamenti di Giovanni PaoloⅡ(ヨハネ・パウロ二世の教え)」バチカン出版(ローマ1984年)P223-225 参照

(2)「新しい道‐交わりの精神を生きるために」(2005年)P48参照

(3)インタビューに答えて(ロッカディパパ 2002年4月18日)

(4)ヨハネ3・16

(5)1ヨハネ4・20